私はいわゆる「ひきこもり問題」に対し15年以上支援活動を通して向き合ってきましたが、あらためて、当事者やご家族、関係者の方々へ伝えたいことがあります。
それは、
「あなたたちは何も悪くない」
ということです。
私は5年ほど前、上毛新聞に「ひきこもりという誤解」という記事を載せていただいた際にもこの言葉を述べましたが、その思いは今も変わりません。
しかし、当時のこの問題に対しての見解から現在までに、もう少し明確となった、または見方が変わってきたところがあるので、解説していきたいと思います。
まず、以前、私はこの問題に対して世代ごとに分けて考察していました。それは、それだけ世代間での「ひきこもり問題」に差異が見られたからです。
例えば、この問題が大きく表面化したとされる氷河期世代では、就職氷河期により多くの新成人がつまずき、何とか就職できたとしてもその後の過酷な労働環境下で心身をボロボロにするといった状況下で、「ひきこもり、ニート」と呼ばれる方々が一気に増えました。
ただその後も、就職状況が安定した後もこの問題は続き、発達障害との関連や、リーマンショック、コロナの影響、価値観の変化など、世代ごとに異なった問題、課題として捉えてきました。
しかし現在の私見は、よりシンプルなものに変わりました。
それは、
「ひきこもりが生まれる社会=ひきこもりを生む社会」
であるということです。
私は従来から、「ひきこもり問題」に対して当事者、ご家族に問題の原因や、責任があるかのような論調に違和感を覚えていましたが、今はそれがより明確となっています。
本人や家族の問題どうこうでなく、
「その時代に、この国で生まれたからそうなってしまった」
ということ、それ以上でも、それ以下でもないということです。
「ひきこもりを生む社会」をわかりやすく、その時代で「社会生活を送る人々=社会の受け皿」、「社会に参加できない人々」に分けて図で示します。
図①
とすると、バブル崩壊以前の社会が、
図②
に対し、就職氷河期の社会が、
図③
となります。
そして現在が、
図④
となります。
図のように、「社会に参加できない人々」が増える(「社会生活を送る人々=社会の受け皿」が減る)ということは、いわゆるひきこもりやニート等の無業者の有無だけではなく、精神疾患者や、生きづらさを感じる人が増えることも示しています。
「社会生活を送る人々=社会の受け皿」が減れば減るほど、生きることが困難になるということです。
だからと言って、「昔は楽だった。今が辛い。」という話ではありません。例えば戦後にひきこもりはいなかったかもしれませんが、それは誰もが社会参加せざるを得ず、必死に生きるしかなかったから。今と昔では、困難さの「質」が違うということです。
また、時代ごとに大きく変化しているのは、「社会生活を送る人々=社会の受け皿」の大きさであり、個人、ご家族の努力ではどうにもならない問題であったことは明らかです。
「社会の受け皿」を大きくすることは社会、つまり国や企業が積極的に行わなければいけないことであり、「失われた30年」の失敗はあったにせよ、社会保障制度等の拡充、企業の受け入れなどがなされ、少しずつではありますが進められています。
しかし、超高齢社会がさらに進む中、「社会の受け皿」を十分に拡げられるかというと現実的に厳しく、またバブル崩壊後から振り返ると、リーマンショックや東日本大震災、新型コロナ、ウクライナ・イラン戦争と、国内の政策ではどうにもできない、天変地異や世界的なトラブルに巻き込まれる中、大きく社会状況が悪化してしまい、影響が出てしまうことは、ある意味、「仕方がない」と受け入れることも必要だと感じます。
それでは、このような中で我々はどのように生きていけばよいのか。
それは、一人一人がこのような状況を正しく受け入れ、むやみに自分や他人を責めることはせず、無理せず、助け合いながら自分らしく生きていくことです。
私は支援者として、「社会に参加できない人々」や生きづらさを感じる方々の少しでも力になれたらと思っています。
もし、そのような悩みを抱えている方がいたら、ぜひお声がけください。




