就職氷河期に起きた「ひきこもり問題」を検証するにあたり、重要なことは「ひきこもり」と検索して出てくる書籍や情報だけではこの問題は捉えられないということです。
この問題は、日本という国の文化や社会、政治、経済、時代背景、労働環境、サブカルチャー、医療、福祉、心理、地政学等様々な情報から、マクロな視点で検証する必要があるからです。
その上で、長年私がこの問題に向き合ってきて辿り着いた「答え」があります。
それは、就職氷河期を過ごした人々に「ひきこもり問題」が起きた、大きな力、「空気」が存在したということです。
この「空気」について、前編ではこのことについて述べていき、後編でそれが「ひきこもり問題」をどのように起こしていったのかを説明していきます。
日本は、度々諸外国の方々から、「世界で最も成熟した文化がある」、「街にゴミが無かったり、電車の前では整然と並ぶように、日本人はとても規律のある民族だ」、「震災時に皆が冷静にお互いを助け合っている姿に感銘を受けた」等、称賛を受けることあります。
それは、日本には神道のように古来からある信仰が、「ものを大切にする」などのような生活に根付いた「教え」として日本人に受け継がれていたり、島国で、且つ地震や火山等の天変地異の多い土地で、助け合いや協調性を必要としてきた民族であること等が要因であり、高い規律性や団結力、協調性は日本人として誇れる部分だと思います。
しかし、それらがもたらすものは、そのような「陽」の面だけではない、「陰」の部分もあることは、日本人であれば誰でも心当たりがあると思います。
そこで、学校のクラスを想定して、一つの問題を出します。
なぜ、「いじめを許してしまうクラス」が現れるのでしょうか?
学校でのいじめの問題は、昔から起きていて、今現在でもどこかの事件として報道されています。いじめにより他者の心身を傷付ける行為は犯罪であるはずなのに、なぜいじめを許してしまい、深刻化、事件化するまでクラスの全員が見過ごしてしまうのでしょうか。
犯罪を犯す人間は少ないですが一定数います。しかしそれはごくわずかで、クラスの全員がそれにあたることはまずありません。それでは犯罪を犯さないような人までなぜその一人となってしまうのか。
その答えが「空気」です。
この「空気」は、クラスという組織を構成する、影響力の強い者を中心とした言動や他の者との関係性、パワーバランス、原因や環境、地域性など、様々な要因が組み合わさり、一つの統一された「空気」としてクラス全体を覆い、徐々にその「空気」が全員を染めていきます。その中で、「空気」を変えることは影響力の小さい声ほど届かず、時が経つほど困難になります。
そのようにして生まれる「空気」は、必ずしも「正しさ」が絶対条件ではなく、むしろそれぞれの欲や保身、利害関係が優先される場合が多いです。また、責任の所在が曖昧になり、当事者意識が薄れるからこそ、このような、「いじめを許してしまうクラス」が生まれます。
「空気」については、団結力、協調性のある日本人だからこそ生まれやすいものかもしれません。
学校のクラスだけではない、家族、友達、地域、企業、国全体、様々な大きさのコミュニティーで生まれ、もちろん、それが団結や絆、相乗効果、成長、協力関係など、良い方向に作用することの方が多いです。
しかし、悪い方向に作用すれば、児童虐待や家庭内暴力、集団犯罪、いじめ、村八分、パワハラ、セクハラ、不正行為、炎上、誹謗中傷等の結果として現れます。
「空気」は、良い効果を生み出す一方で、一人一人では起こすはずのない犯罪行為にも加担してしまう、恐ろしい一面があるのです。
私は20年近く前、警察官をしていましたが、当時はパワハラを教育として容認する「空気」がありました。私の周りでもパワハラはあり、先輩や上司など何人もの警察官が命を落としたり、辞めていました。
しかし、そこにいる警察官は全員、パワハラという、他者の心身を傷付ける犯罪行為を見過ごすか、何もできずにいました。
そしてそのパワハラは、私の身にも降りかかりました。壮絶なパワハラを受けていた私に、先輩がかけた言葉は「お前が悪い、○○さんは教育のためにやっている」でした。
私は、最後までそこの「空気」には染まることはできず、辞める決断をしました。
実際に、「空気」が大きければ大きいほどそれを覆すことは難しいです。選択肢は、そこの「空気」に染まるか、その場を離れるか、戦うかだと思います。
私は、そこを離れるという判断をして良かったと思っています。
しかし、当時、パワハラに対し何もできなかった自分に、モヤモヤは残っていました。だからこそ、「ひきこもり問題」に関わってきたのかもしれないと、今は思います。
次回は、具体的に、就職氷河期に起きた「ひきこもり問題」について述べていきます。
