メディア掲載アーカイブ(上毛新聞掲載記事)

2021年10月19日上毛新聞掲載「ひきこもり支援と農業」

「ひきこもり支援と農業」※掲載内容とは一部異なります。

育てること、生きること

 私にとってひきこもり支援と農業のつながりは10年ほど前に遡ります。

 私は群馬県内の酪農牧場で働いていたのですが、当時、近しい関係にあった人がいわゆるひきこもりの状態にあり、その支援に動いたことがきっかけでした。

 週23時間程度、家畜舎の清掃の手伝いとして一緒に作業をしました。初めは久々に体を動かす仕事でくたくたになっていたり、大きな牛が近づいてきたりするのに戸惑ったりと、大変そうにしていましたが、作業を重ねるごとに心地よい汗を感じながら、牛のゆったりとした動きにも慣れ、作業の達成感を得ているように見られました。

 そしてその影響は普段の生活にも表れ、会話や外出も増えるなどポジティブな変化がみられてきていました。

 しかし、8か月ほど続けていた頃、牧場の都合により継続が難しくなったため、自らが事業を起こし、支援を継続させることになりました。支援と農業がつながることの手ごたえを感じたことから、支援の中に農作業体験や牧場体験などを取り入れました。

 その後、支援事業を続けながら、障害者福祉から就労支援について学ぶため、障害者就労移行支援事業所で働き始めました。その時に県西部で進められた農福連携事業に福祉事業所の支援員として関わることになり、富岡市内で自然農法、有機栽培を行っているこんにゃく農家さんとの交流が始まりました。

 私は利用者の方たちとこんにゃくの掘り取り作業などを体験しました。最初はこんにゃく芋を見たこともない、屋外での仕事の経験も少ないという方も多く、それぞれ様々な障害があることから、不安な気持ちもありました。しかし…


 妙義山を一望できる広大な畑の中、さわやかな秋風を感じながら、それぞれが地べたに腰を下ろし、目の前の泥まみれの芋に集中する。
 農家の方にやり方を教わりながら、皆で協力して一生懸命作業を進め、気が付いたらあんなに広かった畑の掘り取り作業が終わっている。
 達成感と適度な疲労感に満ちた中、最後にお茶をごちそうになりながら皆で談笑をしている…


 そんな光景を見ながらそのような気持ちはなくなっていました。
 利用者の方たちは農業志望ばかりではなかったですが、多くの方にとって、これから社会に出ていくという段階で、社会に対する良いイメージを感じることができたことは、皆にとって好影響だったと思います。

 引きこもり支援と農業をつなぐ活動をしてきて感じたのは、これらは違うことのようで根底では同じだということです。人も作物も動物も、各々を理解し、配慮し、お互いが健やかに育つ(生きる)ことが大切です。

 しかし社会の中ではそれらが見失いがちになり、どうしても個々の利益、効率など優先される結果、不健全な生きにくい社会になってしまうと思うのです。

 そうならないためにも、健全な社会が醸成されることを願いながら、私は今できることをこれからも続けていきたいと思っています。

2021年8月24日上毛新聞掲載「引きこもりの解決法㊦ 心にある答えを探して」

引きこもり支援に携わっていると、「相談者のうち、どのくらいの人が就職できたのか?」と聞かれることがある。しかしその質問を受けるたびに少し違和感を覚えてしまう。就職するかどうかはあくまで手段の一つであり、目的ではないからだ。

 引きこもり状態の問題は、ほとんどの当事者や家族がつらく苦しい思いをしていながら、彼らだけでは解決できないところにある。従ってこの問題の解決に向けた支援が必要なのだが、その目的は彼らが「幸せになること」だと思っている。

 現状を改善させるための方法として、就職に向けた支援をするという選択肢もあるが、そうでない場合もある。あくまで本人にとって幸せかどうかが基準となり、目的に向かうための手段、方法は人それぞれ全て違う。なぜ違うのか。一言でいえば「多様性」だ。

 以前の日本は画一性の高い、経済も右肩上がりの社会で、人それぞれの生き方、家族の在り方にも影響を与えていた。それは「普通」という表現でくくられ、もし、自分の生き方が決まらず分からなくても、とりあえず普通に生きていくことでその場を乗り切り、安心感を得ることができた。

 しかし、現在の日本は普通に生きていくことが難しい。長引く不況で生きていくことのハードルが上がっていることに加え、人、仕事、世代、価値観、家族形成などで多様化が進む中、それぞれが独自の生き方、家族の在り方を探し出さなければならない。それは保守的であったり、変化を好まなかったりするような人たちにとっては、とても困難なことだ。社会全体も先が見えず、閉塞感に覆われる中、どうしていいのか分からなくなってしまう人も多いだろう。引きこもりの方々の多くは以前なら普通に生きられたが、このように現代において自身の生き方を見つけられず、立ち止まっている状態なのかもしれない。

 それでは人それぞれ異なる解決法をどのように探していくのか。それは私たちのような支援者が当事者や家族と対話を重ね、本人の性格や過去のエピソード、望みや趣味、家族関係などあらゆる情報を用い、深掘りし、本人の生き方を模索していくしかない。答えは必ず本人の中にあるからだ。そしてお互いが共通理解を得ながら、同じ目標に向かうチームができてこそ、信頼関係が生まれると思っている。

 可能であれば家族の在り方も考え、家族がサポート役となり、社会資源も利用しながら本人が「幸せ」の方向に向かえるよう支援の輪を広げていく。その中で本人や家族が「人に頼りながら、小さなできることの積み重ねを諦めずに続けていく」ことで、それぞれの道を歩んでほしいと願っている。

2021年7月1日上毛新聞掲載「引きこもりの解決法㊤ できることを一歩ずつ」

 引きこもりの解決法について、2回に分けて伝えたい。解決方法は人それぞれ異なるが、基本となるところは同じだ。今回はその基本部分を話したい。

 まず、解決への第一歩は「人に頼ること」。他人に迷惑をかけられない、恥だと考える人もいるかもしれないが、よく考えてほしい。社会で生きるということは、さまざまな人に頼りながら生きるということだ。社会とつながるためには人に頼ることが解決に向けた一歩として必要不可欠である。

 しかし、ここで気を付けなければならないことがある。それは必ず「理解のある人」に頼るということ。そこを間違えないことだ。例えば、引きこもりの問題に対する理解が乏しく、誤解を持った人に頼った場合、その人の言葉に傷ついてしまうかもしれない。ある程度の理解があっても支援につなげられなければ、結局、当事者にとって不本意な結果を招いてしまう。従って、まずは専門の支援機関や支援者、健康に問題がある場合は医師らに頼ることが望ましい。

 次に、支援が始まり問題解決へと進む中で基本となるものがある。それは「できることの積み重ね」と「諦めないこと」だ。

 相談に訪れる当事者やご家族の多くは解決に向け、性急で大きな変化を期待するが、それに応えることは難しい。なぜなら、まれなケースもあるが、ほとんどが解決までは長い道のりになるからだ。

 例えば、引きこもりの方たちが就職することで問題が解決するかというと、そうではない。就職という大きな環境の変化に対し、本人の現状とのギャップが大きければ無理をすることになり、長くは続けられない。

 学問やスポーツを一朝一夕に習得することができないように、問題解決に向けてできることは、社会とつながる自らをつくるための「できることの積み重ね」しかない。

 支援者の役割は、当事者やご家族と共に、本人の希望に沿いながらも無理をさせない「できること」を探し出し、道をなるべくスムーズに進めるよう支援することだ。ただし、あくまでそれを実行し道を進んでいくのは当事者やご家族である。それは地道で、時には忍耐が求められるかもしれない。疲れたら立ち止まってもいいが、諦めないことが求められる。

 人に頼りながら、小さなできることの積み重ねを諦めずに続けていく。引きこもりの解決法は、生きることにも通じるのかもしれない。実際、多くの引きこもりの方たちに感じるのは、自分の生き方や在り方が分からなくなり、立ち止まっている姿だ。

 次回は、この問題解決の目的、解決法がそれぞれ異なる理由や、生き方を模索する方法などを話したい。

2021年1月13日上毛新聞掲載記事 8050問題の教訓

 「8050問題」という言葉をご存じでしょうか? 8050問題とは、40~50代の子どもと70~80代の親の世帯を中心に、ひきこもり状態が長期化したことにより生じた生活面や金銭面などのさまざまな問題を指します。当事者とその家族だけでは解決できない「ひきこもり問題」をそのままにしてきたことによる新たな課題でもあります。

 8050問題の中心となる40~50代はバブル崩壊後の長引く不況のあおりを受けた世代です。彼らの多くはバブル崩壊、就職氷河期、ブラック労働、非正規雇用、リーマンショックと次々と直面する困難の中、激しくふるいにかけられ、社会のレールから外されていきました。

 当時の政府は彼らを救済するような政策は立てず、当事者とその家族に責任を負わせました。国民の多くも「自己責任」の大義名分のもと、当事者とその家族だけの問題だからと、対岸の火事としてきた印象があります。企業側も長引く不況の中、新卒一括採用、生産性、効率化をうたい新成人、即戦力を重用した結果、1度レールから外された人間を冷遇してきました。こうして彼らは社会的撤退を余儀なくされてきたのです。

 この問題の中心となる世代は、第1次ベビーブームに生まれた団塊の世代の子どもたちです。つまり第2次ベビーブームに生まれた団塊ジュニアの世代で、順調にいけば、第3次ベビーブームを生み、その子どもたちが今の日本を支えていくはずでした。

 バブル崩壊後の長引く不況を乗り越えるためにこの世代を犠牲にし、見放してきたことで、「失われた20年」だけでなく、現在、そして未来も失ったのかもしれません。

 もしこの問題が早期に解決されていれば、人口、出生率の低下も危惧されなかったかもしれません。ファミリー層の消費増により、あなたの企業の業績向上も見込めたでしょう。担い手不足で廃業する企業もなかった可能性もあります。彼らがその担い手となるからです。一人一人が背負う税金などの負担も、今より少なかったかもしれません。

 8050問題からの教訓。それは社会のレールから外れてしまった人々を見放さないことです。国は企業とは違います。企業のように人員を解雇して解決とはいかないのです。今まさに、コロナ禍で倒産、解雇が増え、多くの人々がそのような状態になりつつあります。

 今後、社会から離れてしまった人々が社会に復帰できるよう、精神的、技術的、体力的なケアを行いながら支援をしていく体制、配慮が求められます。それには、行政、企業、そして国民一人一人がこの問題に真摯(しんし)に向き合っていかなければなりません。

 この問題を人ごとにして先送りにしない、国民一人一人の本当の「自己責任」が問われることになるでしょう。
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2020年11月25日上毛新聞掲載記事 ひきこもりという誤解

 私は「ひきこもり」という言葉が好きではありません。10年近くこの問題と向き合ってきた中で、その言葉が実態に即していない、違和感のようなものを常々感じてきたからです。

 「ひきこもり」とはそのまま「ひきこもる人」を意味しますが、私も含め多くの方が「ひきこもる」という言葉に主体的な、つまり当事者が自分の意志で、社会とつながらない判断をしているといった印象を受けていると思います。

 しかし、今までお会いした多くの当事者やそのご家族の中に、望んで今の状況になっている方はいませんでした。誰もが社会とつながることを望みながら、学校や就職活動、職場の中で失敗や挫折、生きづらさを経験し、再びつながる機会、自信を失ってしまい自宅にやむなく避難しているような状態なのです。

 そうした状態は「ひきこもり」ではなく、むしろ「社会的難民」と表現したほうが適していると感じます。

 「ひきこもる」という言葉からイメージされる主体的な意味合いと、実態との違い。それがこの問題を解決困難にしている一因でもあります。当事者とそのご家族は、世間から遊んでいる、怠けている、自己責任だとの偏見を受け、自責の念から我慢をし、助けを求めることを拒んでしまうという現状を生んでいるのです。

 しかし、私は社会とつながることができていない、あなたとそのご家族へ伝えたい。

 「あなたたちは何も悪くない」

 それが今までこの問題に向き合ってきた私の結論です。長い人生で失敗や挫折を経験することは当然ありますし、それは自分を成長させる糧になる、大切なものです。もし失敗や挫折をしたことで社会とつながる機会が失われてしまったとしたら、それは社会に問題があるのです。

 あなたたちだけがこの問題を背負い続ける必要はありません。今はこの問題に対して相談、支援してくれる人たちがいます。以前支援を求めたがその時は良いものがなかったという方もいるかもしれませんが、今は支援の数も方法も増えています。

 この問題への社会の理解も少しずつ変わってきている中で、あなたたちにとってきっと良い支援が見つかるはずです。「もういまさら」とは言わず、まずは相談から始めてみてください。

 県ひきこもり支援センター(027-287-1121。月曜~金曜9時~17時。祝日および年末年始を除く)が県の相談窓口です。

 私が活動する自立支援スペース ワンステップ(080-8479-2602)でも相談に応じます。

 あなたとそのご家族にとって、少しでも良い方向に向かえるよう、共に考えていきましょう。
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2019年6月17日上毛新聞掲載記事

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2019年5月31日上毛新聞掲載記事

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